最高のものを探すなら
世間的思考と真理 Discovering the best
今月の巻頭偈
Natthiputtasamasuttaṃ(SN 1.13)「我が子が最高なり」経(相応部 1.13) \
Natthi puttasamaṃ pemaṃ
Natthi gosamitaṃ dhanaṃ
Natthi suriyasamā ābhā
Samuddaparamā sarā
我が子への愛に敵う愛情はない
最高の財産は牛である
太陽に敵う光はない
海に敵う湖はない
Natthi attasamaṃ pemaṃ
Natthi dhaññasamaṃ dhanaṃ
Natthi paññāsamā ābhā
Vuṭṭhi ve paramā sarā
自己愛に敵う愛情はない
最高の財産は穀物である
智慧に敵う光はない
雨に敵う湖はない
最高のものを探す気持ち
世の中に似ているものはたくさんあります。人間は「そのなかでも最高のものは何ですか?」と知りたくなるのです。エベレストは世界一高い山である、世界一長い川はナイル川である、世界一面積が大きな国はロシアである、世界一人口が多い国は中国である、世界一人口が多い議会制民主主義の国はインドである……などなどの情報は知識の糧になるでしょう。それから、世界一の金持ちがいれば、世界一高価な服を着る人もいるでしょう。「日本一」「世界一」などのフレーズは、人に楽しみを与えるようです。スポーツの世界でも、ワールド・チャンピオンは称賛されます。
どんな気持ちで世界一を気にするのでしょうか? 知識的興味がある場合も、自慢したい場合もあります。「世界最古の木造建築は奈良の法隆寺だ」と言われると、日本人は喜びを感じます。それは自慢というカテゴリーに入るのです。ということは、自慢するための対象は、必ずしも自分が所有するものでなくても構わない、ということです。でも、何かしら自分に関係があってほしいのです。太陽系で最も大きな惑星は木星である、ということは誰も自慢しません。単なる知識です。なかには、何かのジャンルで世界一になりたくて、苦労する人々もいるのです。世界一に達することが思い浮かばない場合は、「世界初」というタイトルに挑戦する人も現れます。ここで理解してほしいポイントは、人々は「最高」「世界一」という概念が気になって仕方ないのだ、ということです。
女神の考え①――愛情
ある女神が、「最高のものとは何でしょうか?」と考えたのです。そこで、自分に興味がある項目を四つ取り上げたのです。最初のテーマは、愛情です。生命はさまざまなものに愛着をいだきます。人間なら、自分が着ている服にも、はいている履物にも、愛着を持ちます。しかし、その愛着は、仕事に対する愛着ほど強くないのです。仕事に対する愛着も、家族に対する愛着ほど強くないのです。男性なら、スポーツカー、高級腕時計、高級カメラなどにも強い愛着を持ちますが、見た目と違って女性は、命があるものに愛着を持つのです。そういうわけで、女神が達した結論として、無数の愛着のなかでも「我が子に対する愛情が最高である(Natthi puttasamaṃ pemaṃ)」と発表したのです。女性にとって、我が子に対する愛情に敵うものはない、という意味です。まれなケースを出して異議を立てる人もいるかもしれませんが、これは一般論として理解しておきましょう。
女神の考え②――財産
現代社会では、財産といえば金[カネ]が第一になります。昔の時代には、金は重要ではなかったのです。財産とは、土地・建物・家畜動物・穀物・知識・技術などでした。財産とは、幸福に生きるために欠かせないものです。当時のインド社会では、最高の財産は牛であると思っていたのです。牛をたくさん持っている人は金持ちです。牛から牛乳、ヨーグルト、バター、ギーなどの高級食材を取れます。それらを他人と物々交換することもできるのです。それから、田んぼや畑仕事の場合も、牛たちは重役を担います。ひとが田んぼを持っていても、牛がいない場合は耕すことはできないのです。耕すために、他人から牛を借りなければいけないのです。このような状況を考えた女神は、「最高の財産は牛である(Natthi gosamitaṃ dhanaṃ)」と決定したのです。
女神の考え③――光
光は生命にとって欠かせないエネルギーです。明るい時、活動する生き物の数が多いのです。明るい時寝て、夜活動する生命もいるのです。夜行性動物にとっては、光は寝付くための信号です。他の生命には、活動開始する信号です。人間も、昼間活動する生命体です。しかし、欲深い人間は、夜もできるだけ活動したいと思っているのです。それで、人工的に明かりを作ることになったのです。人間がどのように人工的な明かりを作っても、その明かりは太陽の光に敵いません。だから当然、「最高の光は太陽である(Natthi suriyasamā ābhā)」ということになるのです。
女神の考え④――水
それから、生命にとって大事なのは水です。昔はほとんど、川の水を使っていたのです。川が無い場合は、井戸を掘って水を汲むのです。それから、池や湖もあるのです。女神が考えた一番大きい湖は、海でした。ですから、「海に敵う湖はない(Samuddaparamā sarā)」と発表したのです。
これら四つの項目は、生命に、特に人間に関係があるものです。「世界一高い山」などは、生きるために役立つものではありません。しかし、これら四つの項目に対しては、人々は興味をいだいたほうがよいでしょう。女神は自分が考え出した四つの最高のものをお釈迦さまの前で発表したのです。
お釈迦さまの答え
お釈迦さまは真理を語るのです。世間のことを語るためなら、正覚者になる必要はありません。この場合、お釈迦さまは女神の考えを認めていないのです。「ありのままの真理の立場から観ると、最高のものは何なのか」と説かれたのです。女神の偈に答える偈なので、同じ四つの項目を使っているのです。
答え①――愛情
「自分自身に対する愛情に敵うものはない(Natthi attasamaṃ pemaṃ)」。すべての生命は、自分自身に愛情・愛着を持っています。それは何よりも強いものです。しかし世界は、「自己愛は最高の愛である」と理解しないのです。自己愛があるから、自分を守らなくてはいけないのです。自分を守ろうとするならば、まず食べるもの、住むところなどが必要になります。だから、そういうものにも愛着をいだきます。家族も仲間も必要になるので、そちらにも愛着を持ちます。自己愛こそが現実であると理解していない人々は、自分より他人のことを心配したり、愛したりしているのだと言い張るのです。しかし、財産を愛することであれ、家族を愛することであれ、国・仲間・他の人々を愛することであれ、神を愛することであれ、自分自身が生きていることが前提に成り立っています。特に神を愛する人々は、死後、永遠の命を期待しているのです。
俗世間は、自分を優先に愛することは悪いことだと勘違いしています。しかし、それは善し悪しの問題ではないのです。命は自己愛を中心にして流れるものです。好き勝手な観念で変化するものでも、変化できるものでもないのです。お釈迦さまが推薦するのは、正しく自分を守ることです。なぜならば、人間は自分を守るつもりで嘘をついたり、他を嫉妬したり、他人を恨んだり、他人と戦ったりするからです。家族を愛すると言って、家族に強い執着を抱くのです。その結果として、家族の自由も、尊厳も壊れてしまうのです。場合によって、家族からの攻撃を受ける羽目にもなります。また、自我を張ったり、他を軽蔑したりするのです。そういうことで、自分を守るつもりが自己破壊へと進むのです。自分を正しく守る人は、自分のこころを清らかにするのです。こころを怒り嫉妬憎しみではなく、慈しみにあふれるものにするのです。ひとやモノに執着すると、自分の自由も無くなるし、他人の自由も無くなってしまいます。だから、執着しないこころで生きることに挑戦するのです。もし、人がこころの汚れをすべて無くしたならば、その人こそが「自分を守る」という課題を達成したことになります。生命は何よりも自分を愛する、ということが真理なのです。
答え②――財産
「財産とは何でしょうか?」と人に訊くと、さまざまな答えが返ってきます。人間が考える財産は、相対的に価値があるかも知れません。自分の子供はたからものである、と言う人がいます。しかし、その子供が成長して大人になって自立したところで、決して宝物だとは言わないのです。我が子は王子様だ、お姫様だと言ってかわいがっているのは、子供が小さいときだけです。持っている土地が財産だと思っている人であっても、歳をとって土地の管理ができなくなったら、それを売ってマンション暮らしになります。だから、人が思う大事な財産とは、相対的に成り立つものに過ぎないのです。
「最高の財産は何ですか?」という問いに、お釈迦さまが面白い答えを出します。「穀物に敵う財産はない(Natthi dhaññasamaṃ dhanaṃ)」。ひとは穀物を食べて生きているのです。穀物が無くなったら死ぬのです。土地・家・その他の所有物は、命を支えてくれません。唯一、穀物は、人を死なさないで命を支えるのです。「すべての生命は栄養によって成り立っているのだ」というブッダの言葉もあります。だから、人間の命を支えてくれるのは穀物なのです。飢饉になったら、豪華な家も高級車も何の役にもたちません。それらを処分して、穀物に変えなくてはいけない。というわけで、「穀物に敵う財産は無い」というのがお釈迦さまの考えです。人間の命は、主に穀物によって支えられているので、それは考えというよりは事実です。なぜお釈迦さまが穀物のことを強調して語るのかというと、欲に目がくらんでいる人間が、それを忘れているからです。人間は豪華な建築物を造ることに、車などの機械を作ることに必死です。それから、いたるところに大都市を造るので、国の人口はそういうところに一極集中するのです。結果として、自然が破壊されます。農業をするための土地も減ります。最高の財産は穀物であると考え直せば、より豊かな社会が現れると思います。
答え③――光
みな女神と同じく、太陽に敵う光などあるわけがないと思っているでしょう。しかし、お釈迦さまは違う答えを出すのです。「智慧に敵う光はない(Natthi paññāsamā ābhā)」。経典では、光と智慧を同義語として使っているのです。太陽の光ではモノが見えるだけです。智慧の光では真理を発見できます。智慧があれば、自分の周りの人々のことだけではなく、すべての生命の生き方を知ることができます。智慧を開発して、真理を発見したならば、その人のこころは一切の束縛を脱して完全たる自由に達します。生きる苦しみを最終的に乗り越えることができるのです。
ここで「智慧の光」という場合は、サマーディの力から開発する神通などの能力も入るのです。神通力がある人には、他次元の生命を見たり理解したりすることも、宇宙を観察することもできます。太陽の光には、このようなことは一つもできません。智慧とは、知識ではないのです。一般人が自然に持つ能力でもないのです。智慧は開発するものです。知識とは、眼耳鼻舌身意に入る情報を合成して概念にする働きです。知識には、正しい知識と間違った知識という二つがあります。知識は決して完全ではないのです。つねに改良する必要があります。いくら改良したと言っても、眼耳鼻舌身意にふれる情報を処理すること以外、何もできません。智慧は人格向上する働きです。こころを清らかにする働きです。無明を破る働きです。ですから、生命にとって最高の光は智慧になるのです。
答え④――水
「海に敵う湖は無い」と言えば、わかりやすい話です。しかし、お釈迦さまは皆が驚く答えを出すのです。お釈迦さまの答えは、「雨に敵う湖は無い(Vuṭṭhi ve paramā sarā)」です。この言葉に、2つの解釈ができます。人と生命は、川・湖・湧き水・井戸などの水を使って命を繋いでいるのです。しかし、その水は雨が降らなかったらすべて無くなるのです。ですから、陸上にあるすべての水の親分は、唯一、雨なのです。ですから、雨に敵う湖はありません。それから、地球の起原を考えましょう。地球ができた時は、海は無かったのです。すべての水は水蒸気になって、雲として地球を覆っていたのです。次第に地球が冷えていくにつれて、地球スケールで雨が降ったのです。それが溜まったところを海と言うのです。ですから、海の親も雨なのです。
女神は、見た目だけの情報で結論を出したのです。お釈迦さまは、「命を支える水は雨が作ってくれるのだ」と事実を語られたのです。その答えは、地球の起原を考えても合致しているのです。
お釈迦さまが説かれた偈の結論の行は、「雨は最高の湖である」という言葉です。仏教的に大事な教えは一行目と三行目になります。二行目と四行目は、どちらかというと俗世間的な話です。お釈迦さまの言葉は、そういうふうにバラバラになりません。しかし、この場合は女神の発表の偈に、返事の言葉を合わせてあるのです。女神の発表の偈は、すべて俗世間の項目なので、順番はそれほど厳しくなりません。仏教の真理をそれに合わせると、智慧の項目で偈が終了したほうが良いと推測することもできます。しかし、この偈の場合は、四行すべて独立して成り立つ考えなので、問題ありません。
今回のポイント
- 最高の愛は自己愛です
- 自己愛を認めると生きる道が明らかになる
- 最高の財産は穀物です
- 死なないために食べるものは欠かせません
- 光にモノが見える。智慧にすべてが観える